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バレンタイン キッス
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世の中にはどうしてこう無意味やたらにイベント事が存在するのだろう。

この数日、学校中が明らかに浮ついた空気を漂わせてた。学年最後の期末テスト期間であるにも関わらずにである。

妙に女子がそわそわと教室の隅で密談してたり、ついでに男どもまでやたら自分のロッカーの掃除を始めていたりしたのだが、はっきり言ってしまえばエージの眼中にはなかった。と、いうよりも、そんなものに気を回す余裕なんて微塵もなかった。

今度の期末テストで赤点を取ったら部活動禁止と、よりにもよって一番苦手な物理教諭でもある顧問に宣告されてしまったからには腹をくくるしかない。数学が得意なガクと意外と頭の良い明神(あの外見で昔はやんちゃしてた奴が秀才というのも腹が立つところだが)に手伝ってもらい、まったくもって意味不明の方程式とこの一週間たっぷりと格闘していたのだ。おそらくここまで勉学に打ち込んだのは、高校入試の時以来であろう。

何はともあれ、その物理のテストも本日無事終了。自己採点ではあるものの、まぁまぁの点にはなっているだろうという安堵感と、今日から心おきなくグラウンドで素振りができる開放感に浸っていたとき、唐突にそれは目の前に突き出された。

「・・・・・・何だ?コレ」

赤い包装紙でラッピングされた箱を片手に、クラスメートが何故か不機嫌そうな顔で立っていた。

「ちょ、チョコよっ!材料が余ったから、眞白にもあげるわよっ」
「いや、オレ甘いものはそんなに好きじゃな・・・」
「いーからっ! あげるって言ってるんだから素直に受け取りなさいよねっ!」

やや強引ではあるがねじ込まれたチョコレートを受け取ったと見ると、彼女は脱兎のごとく教室から飛び出していった。一方のエージは教室の隅でぽかんと立ちつくしていた。

「いきなりなんだってんだ?」

チョコ? チョコねぇ・・・・・・甘いの好きじゃねぇのに。せめてパンとかおにぎりとかなら部活の後に食えるのに。・・・・・・ん?あれ?チョコ?

慌てて黒板を振り返り、本日の日付を確認。・・・・・・2月14日水曜日。ちなみにその下の日直欄には小野寺と神崎の名前が並んでいた。

「あー・・・・・・」

バレンタインか、と。ここでようやくエージは手渡されたチョコレートの理由に気づいた。
仮にも野球部レギュラーで4番を陣取っているエージはかなり目立っている。それ故か一部の女子には騒がれてる、・・・らしい。らしいというのは、エージがそういった外野をあまり気にしないというか、言ってしまえば単なる野球バカは周囲なんぞ知るかの態度なので、見かねたクラスメートがそう教えてくれたのだ。

去年、ベンチに回っていた時ですら片手で抱えるだけのチョコをもらった事を思い出した。せっかくもらったのだからと、最初のうちはエージも甘ったるいチョコレートを少しずつだが消化していたのだが、最後には両手を上げて姫乃に引き取ってもらったのだ。

元々、洋菓子より和菓子、甘いものより塩辛いものが好きなエージにとって、あれは一種の拷問に近かった。思い出しただけで遠い目になりそうだ。

あぁ、なんだってバレンタインにはチョコなんだ。せめて煎餅か塩羊羹くらいならオレも食べられるのに。そもそも、このチョコと一緒に告白というイベント事を考えた奴をぶん殴りたい。

本当の所、思う存分素振りをしたい。欲を言えばチームメイトとキャッチボールもしたいのだが、このままグラウンドに出向けば同級生及び後輩の女子生徒に捕まる可能性が大である。そうなれば、あの甘ったるい洋菓子を押しつけられる訳で。

廊下の突き当たりの窓からこっそりとグラウンドを覗き見れば、不自然に集まったセーラー服の集団がやはり部室の前で待ちかまえている。

「・・・・・・仕方ねぇな、今日はさっさと帰るか」

鞄とコートを小脇に抱えると、エージは学校の裏口からこっそりと抜け出すことにした。


うたかた荘の共同リビングでは、ツキタケが淡いピンク色のリボンをかけられた物体とにらめっこ中だった。

「・・・・・・何してんだ、おめぇは?」
「げっ、エージ!お前、いつ帰ってきたんだよっ!」
「今さっき。・・・それチョコなんだろ? そんな睨み付けて対処に困るような奴からもらったのか?」

どさっと鞄やスポーツバッグを床に転がす。コートは脱いでいたがツキタケも制服のままだったので、エージも着替えに行かずに彼の向かい側の席に腰掛けた。

「あれ、エージはチョコ貰わなかったのか?」
「押しつけられた奴ならスポーツバッグの中にある」
「あーやだやだ、こんなサルのどこがいいんだろうな、女の子達は」
「うっせーぞチビタケ」

中学に入るまでは同じくらいの身長だった二人だが、今やエージの方が7センチほど大きい。この辺は運動部と帰宅部の差が出たようだ。

「チビタケって言うな。お前だって兄貴や旦那より低いだろ」
「あいつらでかすぎなんだよ。・・・・・・で?」
「なんだよ」
「それ。誰に貰ったんだよ」

話を元に戻すと、ツキタケは眉間に皺を寄せた。ほんのりと目元を赤らめて。

「あー・・・・・・。図書館で、貰った」

ツキタケは本が好きで、放課後は大抵図書館で過ごしている。一人の世界に没頭できるのがいいらしい。今日もいつも通りに図書館に出向き、数冊の本と貸し出しカードを手渡したら、その図書委員の子がチョコレートを添えて返してくれたのだと言う。

「図書委員って誰?」
「永原って子。・・・・・・確か、3組の」
「へぇ、よく知ってんな」
「ち、違うぞっ!たまたま知ってたんだ。だって隣のクラスだし、よく図書館で顔は見てたし」
「へぇー」

にやにやしているエージに腹を立てたツキタケは、足先で彼のスポーツバッグをつついた。

「お前みたいに貰ったチョコをぞんざいに扱っている奴にとやかく言われたくないねっ」
「別にぞんざいにしてねぇって。あぁ、チョコ食う?お前甘いの好きだろ」
「お前が貰ったんだからお前が食えよ」
「あー、どうせ貰うならナイスバディのお姉さんに貰いたいよなぁ。澪姉さんは今年は来ないのかー」
「姉御からは無理だろうけど、あっちからは貰えるんじゃねー?」

ニヤリと笑うツキタケに、あっちってどっちだよと返そうとしたとき、図ったように玄関のドアが爆音を立てて開いた。

「エーーーージィーーーーーッ」

叫ばなくても聞こえる距離なのに、アズミの声は容赦なかった。靴を脱ぐや否や、ダダダッっと駆け寄ってきてエージの制服の襟首をしっかと掴みかかった。

「もう、食べちゃったっ?!」
「は? 何をだよ」
「チョコー!チョコレート、もう食べちゃった?食べてない?」

アズミが必死なのは珍しくも真剣な目と口調で分かった。が、エージがチョコを食べたかどうかがそんなに大事なことなのか。

「・・・・・・食べたいんなら、鞄の中に突っ込んであるぞ、チョコ」

アズミの剣幕に勢い飲まれたエージは、とりあえず部活用のスポーツバッグを指さした。が、アズミの手は緩まない。

「食べたくない! そうじゃなくて、エージはもう食べたの?って聞いてるのっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・食べてない、けど」

こんな風に詰め寄ってくるアズミには、はっきりいって反論できない。かなり危険な仕事に赴くはめになった明神についていこうとしたのを止めた時以来だ。あぁ、あの時は結果的に公園に置いてきぼりとなったアズミに散々耳を引っ張られたなぁ、などと全く関係ない話をエージは思い出していた。

一方のアズミはと言えば、よかったと胸をなで下ろすと、おもむろに自分の鞄を開けた。がさがさという音を立てて取り出されたのは、明らかにお菓子と分かるそれだった。柔らかい不織布にかけられた焦げ茶色のリボンをするっと解くと、500円玉サイズのチョコレートらしきものが小さく山になっていた。

「はい、あーん」
「へ? あー・・・・」

誘導されるままに開けたエージの口に、アズミはそのチョコレートを1つ放り込んだ。正確にはクッキーにチョコレートをコーティングしたものである。

「美味しい?」
「・・・・・・美味い、けど」

えへへぇ、と嬉しそうにアズミは笑う。

「アズミが作ったんだよ、これ」

あ、こっちはツキタケの分ね、と彼女はもう一つの包みをツキタケに手渡す。こっちは普通に渡しただけで終了。・・・何でオレだけ食わされてるんだ。

「せっかく学校まで迎えに行ったのに、先に帰っちゃってるし」
「あ、あぁ。わりぃ」
「まぁ、一番に食べて貰ったからいいんだけどね。じゃあ残りも全部食べるんだよっ」

エージの手に包みごと載せると、アズミは満足したのかあっさりと踵を返した。ぱたぱたと軽い足音を立てて共同リビングを出て行く後ろ姿を見送りながら、エージはぽつりと言った。

「・・・・・・なにが、したかったんだ? アズミは」
「エージに一番に食って欲しかったんじゃねぇ?」

愛されてるなぁ、と言われて憮然とするエージ。愛されている? そうじゃない、アズミにとってオレは兄貴みたいなもんだからだろ。うたかた荘の中で一番仲がいいし、・・・多分。

「オイラとエージの扱い、年々格差が広がってくんなぁ」
「・・・・・・」
「この分だと、明神の旦那を追い越す日も近いかぁ?」
「・・・・・・・・・・・・」

エージは無言でスポーツバッグを開けると、その中に入っていたチョコレートを取り出してテーブルの上に積み上げた。

「やる」
「だから、エージあのなぁ・・・・・・」
「うるせぇ、オレは甘いもの苦手なんだって言ってるだろ」

これだけで十分だ、とアズミに手渡された包みを片手に、エージは鞄を掴んで自室へと戻っていった。少し乱暴な足取りは、おそらく照れ隠しだろう。

取り残されたツキタケは暫くはぼーっとそれを見送っていたが、やがて呆れた顔で笑った。

「どっちも甘々だねぇ、まったく」

確かにあれ以上の甘さは必要ないだろう。少し考えた末、ツキタケはテーブルに残されたチョコを手にとって、ガクの部屋に向かうことにした。

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