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無自覚な日々
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明神冬悟は悩んでいた。

ぽかぽかとした心地よい昼下がり、春も穏やかな快晴の日に眉間に皺を寄せて云々と呻りながら腕を組んでいた。あまりにも呻っているのでアズミに「明神おなか痛いの?」と心配される程だった。もちろん腹が痛いわけではなかった。その辺は至って健康だ。

けれど明神が悩んでいるのは確かに身体的なことではあった。今月の収入やらガクがピコハン振り回してぶっ壊したうたかた荘及び備品などの補填を考えて頭が痛くなるのはいつものことなのだが、最近は別のことで胸がちくんちくんと痛むのだ。その上、イライラ、動悸、眩暈、血圧の上昇などなど。某銀色の薬でも飲んだほうがいいのか?と思う症状に悩まされていた。

「どうしたのかなぁ、オレ。頸の使いすぎか?」

そんな話は聞いたことがないが、頸を使う人間自体が少ないので、もしかしたらそういったこともあるのかもしれない。日頃まったく病院のお世話にならない上、大抵の怪我は水の梵術で治しているんだが、病気となると話は変わってくる。

困ったな。どうしようかな。病院にいって検査してもらうか? いやいや、オレそういえば保険証とか持ってないし。それに時々しかその症状出てないしなぁ・・・・・・。もうちょっと様子見ててもいいかなぁ。

大きなため息をついて項垂れると、明神はそのままソファにごろんと横になった。とりあえず寝ておこう。休めるうちに休んでおけばそのうち治るさ。明神は一人で納得して目を閉じる。昨日の仕事も明け方までかかっていた所為か、睡魔は呆気なく訪れた。



明神さん、と起こされたのは、それから数時間後の事だった。

うっすらと開けた視界が薄暗く、結構寝入ってしまったのかとぼんやりと思った。どうせだしもう少し寝ておくかと思ったところでもう一度明神さん、と呼ばれた。今度は肩を揺すられたのでもう少しはっきりと瞼を開ける。・・・・・・そして思いっきり目を見開いた。

「あ、起きました? そろそろ夕飯できるんで・・・・・・明神さんまだ寝ぼけてる?」

耳障りのよい少女の声と目前にある彼女の顔に、一気に思考回路がフル回転し始めた。いや、待てなんでこんな間近に顔を近づけてくるんだこの女子高生はっ!もうちょっと警戒心ってものを、ねぇ?!

「ちゃんと起きてよ、明神さん。ご飯食べるよね?」

ぺちん、と両頬を小さな手で包み込まれて身体が硬直したように動けない。さっきまで収まっていたはずの動悸・息切れ・眩暈・血圧の上昇が一気に押し寄せてくる。やばい、やばすぎるっ、このままだとオレ死ぬかもしれないっ!

更に顔を寄せてこようとする姫乃の肩を何とか押し留め、掠れた声で明神は言った。

「食ベマス。夕飯食べますので、そんなに近づかなくてダイジョウブです・・・・・・」
「そう? ・・・・・・あれ、明神さんなんか顔赤いよ?熱でもある?」
「ないっ! ナイナイナイナイ、絶対に熱ないから、ひめのんちょっと・・・・・・」
「・・・・・・なんか私、嫌がられてます?」

ぷくぅと頬を膨らませて睨んでくる姫乃に明神は慌てて否定した。

「そうじゃなくってさ、オレちょっと眩暈がしてて。もしかしたら病気かもしれないから、そしたらひめのんに移るとダメだろ?」

「え、明神さん病気?! 大丈夫なの?やっぱり熱あるんじゃない??」
「いや熱は無いと思うんだけど・・・・・、でも顔はなんか熱いかも」
「体温計持ってこようか?」
「なんか一時的みたいだから、ほっておけば大丈夫だと思うんだよ」
「・・・・・・病院行かなくても平気?」
「平気でしょ。大丈夫だって、本当に一時的なんだ」

心配顔の姫乃の頭を撫でると、明神はもう一度安心させるように笑って見せた。納得しきれないのか、難しい顔のまま姫乃は明神の手に自分の手を重ねておいた。

「無理は絶対にしないでくださいね? 気分悪くなったらちゃんと言うこと」
「はい、肝に銘じます」
「・・・・・・私に何かできること、ない?」

それならば、ある。この至近距離から離れてくれ。そうすれば動悸も眩暈も息切れも止まるはずだ。今までの経験からそれだけは間違いない。そう思った明神は、はたと自分の手に視線を落とす。そこにあるのは見慣れた傷だらけの自分の手とそれより二周りほど小さい姫乃の手。・・・・・・・・・・・・あれ?

「・・・・・・あれ? なんか落ち着いた?」
「え、何が?」
「いや、さっきまでより眩暈とか落ち着いた気がする。ひめのんが手を握ってくれたら」
「ホント? じゃあしばらく握ってようか?」
「うん。いや待って、顔は近づけなくていいから。また動悸が激しくなりそうだし」
「どきどきするの?」
「そうそう、なんか耳鳴りかと思うくらいどっくんどっくんいってる。・・・・・・ヤバイのかなぁ、オレ」
「えぇっ?! 死んじゃだめだよ、明神さん!私ちゃんと手を握ってるから!!」
「いや、そんな力いっぱい握らなくていいから。うん、大丈夫だから」

真剣な目で自分を心配する姫乃に明神は思わず笑った。笑いながら、さっきとは違う動悸を自覚したが、それを申告するともっと大変になりそうだなぁと思って黙っていることにした。・・・・・・ひめのんって優しいなぁ、一生懸命で可愛いなぁ。

重ねられた手から伝わるぬくもりに、明神の諸症状は少しだけ収まり、代わりに別の症状が現れたのだが、それはまだ看過できる代物だったので明神はあえて目をつぶることにした。それはひどく心地よいものだったので。

しばらく手を繋いでいた二人だが、夕飯の準備が整っていることを思い出してようやくその場を立った。その頃には明神の症状はすっかり良くなっていた。



姫乃が他の人と一緒にいるのを見た時や、必要以上に顔が接近したときに現れるこの症状の原因が判明するのは、実に数ヶ月も先の話である。

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