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彼の憂鬱
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最近、姫乃の様子がおかしい。

珍しく一人きりの共同ロビーで、明神は神妙な顔で腕を組んでいた。
目が合うと視線を反らされたり、共同リビングで二人きりになると黙りこくってそっぽを向いたり、かと思ったらアレコレと他愛無い話を延々と語られて、こちらから口を挟めなかったり。

これは、と明神は思い巡らす。
世間一般で言う、あれしかない。いや、おそらくそうだろう。間違いない。そうかぁ、ひめのんも年頃だしなぁ。そういうのがあってもおかしくないよな。大体、ここに住んでいる大人の男って俺しか居ないし。
でも、いざ当事者になってみるとこそばゆいもんだなぁ、これも。

そこまで考えて、明神はわざとらしくため息をつく。しかし、こそばゆい感覚はなかなか離れてくれず、思わず緩まる口元を手で抑えていると、正面の壁からタイミング良く(悪く?)顔を出していたエージと目が合った。
少年の顔には「心底呆れている」とでかでかと書かれていた。

「・・・・・・なんだよ、エージ。そんな目で人を見るのは良くないぞ」
「いや、その緩みきった顔を何とかしてから言え。正直キモイって」

片手に担いだバッドで肩を叩きながら、小柄の少年は床に座ったままの明神の正面に立つ。

「で、何妄想してニヤけてたんだ、おっさんは」
「お、おっさんだとぉ?! おれはまだ20代前半だ!」

ていっ、と右腕で脚を払う。エージはバランスを崩しつつも、何とかそれを避けた。
あぶねーな、とエージが文句をたれる。

「そのだらしない顔を鏡で見てこいよ。何考えてんだか知んねーけど、やばいぞ、その顔は」
「そ、そうか?」

そんなにやばかったのか、と明神はしきりに自分の顔を両手で擦った。
で、とエージは明神の前にどっかりと座る。

「何考えてたんだ? まぁ、大方ヒメノのことだろうけど」
「げっ、何でわかるんだ、エージ」

図星を指されて仰け反った。が、指摘したエージも思いっきり身体を引いた。

「うわっ、マジでヒメノのこと考えてたのかよ。それであんな顔してたのかよ!! ・・・・・・犯罪じゃね?」
「待てまて。なんでそっからいきなり犯罪になるんだよ」
「だってヒメノのことだろ?」
「あぁ」
「で、あのだらしなく緩みきった人様には到底見せられないような顔」
「おい、そこまで言わなくてもいいだろ」
「これを犯罪と言わずにどーすんだよ。つーか未遂にしとけ、な?」
「何の話だよ、エージ。未遂ってなんだ、未遂って」

ちゃんと人の話を聴け、とエージの頭を片手で抑えるける。

「最近、ひめのんの様子がおかしいな、って思ってたんだよ」

驚いたように顔を上げるエージに、明神は得意げに口端をつり上げた。

「俺と視線合わせないようにするとか、二人っきりになると妙にそわそわするとか。これはもう、あれしかないだろ」

普段、鈍感とか鈍いとか人の気も知らないでとか、遠慮なく言っているエージの顔が驚愕のあまり引きつっている。その様子を見て、明神はすこぶる機嫌が良い。

「流石の俺もね、こればっかりはわかっちゃったよ」

両目を見開いたまま硬直しているエージの肩をぽんぽんと叩き、大人の貫禄を曝け出す。

「まぁ、ひめのんの事だしね。流石に年頃だしなぁ、どう接していいかわかんねーな、これは」
「マジで気づいたのかよ?! 明神」
「あんなにあからさまじゃ、分かって当然だろ。まぁ、こういうのを乗り越えてこそ、大人になるってもんだし」

明神の言葉に、エージは派手に噴出した。

「ん? どうしたエージ」
「ど、どーしたも、こーしたも・・・・・・。いや、悪かった。そうだよな、明神だって大人の男だもんな。それくらい思うよな」
「そうそう」
「でも、流石に無理強いはよくねーと思うぜ。あ、あとガクには絶対に見つからないようにしねーと・・・・・」
「ん? なんでここでガクの名前が出てくるんだ? それに無理強いって何のことだよ」

はぁ? とエージが眉を顰めた。

「何でもクソも、ガクがヒメノにベタ惚れなのは今更じゃ・・・・・」

そこまで言いかけて、エージがはたと顔を上げた。

「ちょっと待て、明神。ヒメノが最近落ち着かない原因、お前何だって思ってるんだ?」

そんなの決まってる、と明神は堂々とこう言った。


「反抗期だろ?」


「・・・・・・」

それはそれはあからさまなくらい、エージはがっくりと肩を落とした。

「丁度大人に逆らいたくなる年頃なんだよな、あれくらいって。身近な大人っていうと俺くらいだし、あれだな、父親代わりってかんじ? いや、そんなに歳離れてないから兄貴ってところかな。俺も経験あるけど、素直になれないっつーか何と言うか・・・・・・って、なんだ、エージ。その人を哀れんだような目は」

「いや、明神はやっぱり明神だなと思ってさ」

はぁ、と盛大なため息をつき、さっきとは立場反対で明神の肩をぽんぽんと叩く。

この男の鈍感さは並じゃない。鈍感も鈍感、キングオブ鈍感だ。分かっていたとは言え、ここまで重症だったとは。
一瞬とは言え、こんな駄目男の言葉を信用した自分はまだまだ未熟だ。これでは、この先に待ち構えている無自覚男の天然惚気攻撃に耐えられなくなるかもしれない。それを思うと、大変に気が重くなった。

「・・・オレ、アズミと遊んでやってくるわー」
「え? なんだよエージ。思わせぶりなことばっか言い捨てて逃げるのかよ」
「そうそう、俺も反抗期だからさー」

勝手にしてろ、と言わんばかりの嘲笑を浮かべ、エージはそそくさとリビングの壁を抜けていった。

「ちょっと待て、だから何なんだって聞いてるだろ!壁を抜けていくな、おい!」


周囲の人間ばかりが気づいて、当の本人同士がまったく気づいていないこの恋愛事情は、残念ながらもうしばらく続くらしい。

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