novel
『彼女』の定義
TOP > novels >『彼女』の定義

アズミは悩んでいた。珍しく口を真一文字に結んで眉間には見慣れない縦皺までこしらえてうんうんと唸っている。

この春、めでたくもランドセルから卒業できたアズミだが、それだけで人間の能力がぐいっとアップするはずも無く、まだまだ幼稚な頭脳をそれでもフル活動させていた。

悩み事は恋愛事情。あのアズミも恋で悩む年頃になったのだ。父親みたいに世話をしていた明神がこれを聞いたら、さぞや複雑な心境になるに違いない。もしかしたら「相手の男を連れて来い!」などと言い出すかもしれない。まぁ、そんな管理人の話は置いておいて、アズミの悩み事の話に戻ろう。

少女の恋の悩みと言えば、定番なのは「どうやったらこの気持ちを伝えられるか」というところだが、得てしてアズミも同じような悩みで唸っていた。

「おチビちゃん、何ウンウン唸ってるのよ。あんまり唸ると眉間の縦皺消えなくなるわよ」

いつの間にかアズミの部屋に入り込んでいたコクテンが、宙に寝そべったまま嗤った。それを見上げてアズミは破顔する。

「あ、コクテンー。丁度いいや、ちょっと聞いて聞いてー」
「また算数とか国語とかじゃないでしょうね? 人間ってなんであんな訳の分からないものを必死にやるのかしら」
「違うよ、今日は勉強じゃないの。あのね、ちょっとレンアイ事について相談に乗って欲しいの」

それならば、とコクテンはすいっと彼女の勉強机に腰を下ろした。人であらざぬ者とはいえコクテンも女の子である。人のコイバナには進んで首を突っ込みたい性質なのだ。

「何よ、どうしたの?」
「あのね、アズミ『彼女』になりたいの」
「彼女って、・・・・・・まさかあのサルの?」
「そう、エージの」

サルと言われたことはスルーなのか、それともアズミもエージをサルだと思っているのか、コクテンの厭味はあっさりと流された。

「あのサルのどこがいいんだか私には全っ然分かんないわ。アズミ、目が腐ってるんじゃないの?」
「腐ってないよ、ちゃんと学校で健康診断受けたもん。でね、どうやったら彼女になれるのかなぁ? コクテンはキヨイの彼女でしょ、どうすればいいか分からない?」

うーん、と今度はコクテンが唸った。正確に言えばコクテンとキヨイの関係も恋人同士などという甘い関係ではなかった。どちらかと言えば、コクテンのラブコールをキヨイが邪険にしない程度な関係なので、実際にキヨイがコクテンをそういった意味で愛しているのかは分からない(仲間としては大変愛されていると自負できるが)。それ故彼女が云々と言われても返答に困るところだ。

「あのサルはアズミの事好きだとは思うけど」
「うん、アズミもエージの事大好きだよ」
「ただ、それが特別かどうかってことよね、要するに」
「・・・・・・とくべつ?」
「つまり、一番好きな人が彼氏とか彼女ってことじゃないの?」
「あ、うんそっか。そうだよね、アズミ、エージの事が一番好きだから、エージにも一番好きって言って欲しいかも」
「・・・・・・・・・あんた、その辺も分からないで、なんで彼女になりたいとか言い出したのよ」
「だって、クラスメートのユキちゃんに『そんなに好きなら告白して彼女になっちゃいなよ』って言われたから」

・・・・・・・まぁ、そんなとこだろうとは思っていたが。アズミだし、子供だし、あんなサルを好きになるような奴だし。大人げない反論は腹に止める程度にはコクテンは大人・・・・・・・・・・・・・・ではなかった。

「だったら別に彼女じゃなくても何でもいいじゃないっ!今だって十分過ぎるくらいにいちゃついてるくせに、これ以上何がしたいのよあんたは!!」
「えー、でも」
「でもも杓子もなーーーいっ! 大体、マダオの明神と奥手の姫乃じゃ仕方ないけどあれでも一応はれっきとした恋人同士なのよ?! それ以上にべたべたしているくせに今更彼女とか彼氏とか関係ないじゃない!事実上恋人みたいなもんでしょっ」
「そう、・・・・・・かな?」
「そうよ、そうに決まってるわっ!」
「でもぉ、・・・・・・まだ恋人だってエージ言ってないよ?」

あぁ、とコクテンは脱力の余りその場に崩れ落ちた。無駄だ。アズミに何を言っても無駄だ。いや、今更何をしたところでアズミの惚気にやられてしまうだけじゃないか。どう考えても自分の方が分が悪すぎる。

コクテンは開き直った。要するに、アズミは『恋人』という名前が欲しいのだ。だったら言ってもらえばいいんじゃないか、あのサルにっ!そうすれば自分がこんな理不尽な攻撃に耐える必要もないというもの。

にやり、とコクテンが笑う。

「わかったわ、アズミ。私がこれから言うことを実行しなさい」
「え、それで恋人になれるの?」
「なれるわ。もう今更感が強いけど、なれることには違いないわ。つーかさっさとなってこれ以上周囲に迷惑かけないでちょーだいっ!!」
「わかった!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で、どうすればいいの?」



何だ? とエージは咄嗟に背後を振り返った。背筋がぞっとしたというか、悪寒が走ったのだ。風邪か? いや、風邪にしてはそれ以外の兆候は見られない。熱もないし体調も万全だ。では何だ。

「・・・・・・イヤな予感がすんなぁ」

鼻に皺を寄せて唸った。そんなに勘のよい方ではないが、悪い予感というものは大抵当たってしまうものだ。できれば外れて欲しいなぁと思うが、それは叶わないというのも世の常だろう。風呂の準備をしてエージは自室のドアを開けた。・・・・・・そして目の前に佇む人影に手足が固まった。

「・・・・・・・・・・・・何してるんだ、アズミ」
「エージが出てくるの待ってたっ!」

少し冷えた廊下で膝を抱えていたアズミは、エージを見るやいなやバッと飛び起きた。あまりにも勢い良かったので、エージは思わず一歩後ずさる。いや、一歩と言わず部屋に後退して今開けたばかりのドアを閉めたい気分でいっぱいだった。だってアズミの目がこれでもかというくらいキラキラしているんだ。このキラキラ眼に今まで散々な目に遭った経験があれば一時退却を考えたっておかしくないだろう。つーか、退却させてくれ。

もちろん、このエージの心の叫びがアズミに聞こえるはずもなく、彼女は突撃するように飛びついてきた。

「エージっ!!!」
「うわぁぁぁっ!! ちょ、ちょっと待てアズミ、おい・・・・・・っ」

後ずさっていたのが裏目に出た。あっけなくアズミに圧し掛かられエージはひっくり返った。咄嗟にアズミを庇うように抱き込んだので、そのまま彼女が転がっていくという事態は免れたが、当の本人はまったく気にもせずにエージの首に抱きついていた。勘弁してくれ、とエージは項垂れた。

「アズミ、危ねぇから人にいきなり飛びつくのはやめろって言ってるだ・・・・・・」

そこで唐突にエージの抗議は途切れた。というか途切れざるを得なかった。なんせアズミに口を押さえつけられたから。それも彼女の唇で。・・・・・・つまりは、年下の彼女にいきなり押し倒された挙句、有無を言わさずキスされているという状況で。

・・・・・・なにがしたいんだ、こいつは?

別にキスをするのは問題じゃない。それはよくしている行為だから。ただ、こんな長々とすることなんて無かったはず。アズミのキスが唇を押し付けるだけの幼いキスだったせいか、至って冷静に自分の現状を分析し、まぁとりあえずはアズミが何がしたいのかを聞こうと彼女が唇を離すのを辛抱強く待ってみることにした。

身動ぎせずに待つこと数分、ようやくアズミが顔を上げた。かっちりと至近距離で目が合った。相変わらずキラキラ眼だった。まずはアズミの言い分を聞こう、とエージはアズミを腹に乗せたまま彼女の頭を撫でてみた。

「・・・・・・それで、アズミは何がしたかったんだ?」
「彼女!! エージ、アズミのこと彼女にしようって思った? 特別?」
「はぁ? お前今更何を言って・・・・・、いやそれより、今の行動とどう関係あんだよ」
「特別なちゅーすれば彼女になれるってコクテンが言ったっ!」

変な入れ知恵されてくんなよ。特別なちゅーってさっきのあのキスのことか? まぁ確かにいつもとは継続時間は違うだろうが、おそらくは意味合いが違うっつーの。何より問題なのは、今の今まで自分のことを彼女だと思っていなかったアズミだろ。じゃあ何か、お前は彼氏でもない男とキスすんのかと。ほっぺにちゅーなんてレベルはとっくに超えてるだろ。

そこまで考えて、はたと気がついた。そういえば、自分はアズミに「告白」ってものをしてないんじゃないか? いや、好きだとかは言ってた気がするが、それもアズミに半分脅迫されて言ってたような流れだったし。あの分だと好きの意味合いを察しているとは思えない。

まぁ、そういうことなら仕方ないか、とエージはさっさと頭を切り替えた。圧し掛かったままのアズミを起こして膝の上に載せると、自分も上半身を起こす。この体勢でもアズミのほうが視線が下だった。まだまだアズミは子供なんだ。

「わかった、アズミはオレの彼女だって言えばいいのか?」
「うん!」
「そんだけでいいのか?」
「え?それだけって?」

きょとんとしているアズミを素早く抱き寄せると本当のキスをした。つまり大人の、いわゆるディープキスを。アズミはこんなキスの存在すら知らなかったんだろう。だからさっきみたいなキスになったんだろうし。そうは言っても、エージだって知識はあっても実践は初めてだから多少はぎこちないキスになった。軽く唇を愛撫するように舌で撫でて、思い出したように唇ではむ。驚いたまま目を見開いているアズミの瞼を指で閉ざし、もう少し深くキスをする。・・・・・・うん、これは。これはいいかもしれない。

エージがディープキスに満足して解放する頃には、初めての大人のキスにアズミはすっかり骨抜きになっていた。

「・・・・・・・これが恋人同士のキスな」
「・・・・・・こい、びと? アズミ、彼女だってことだよね?」
「当たり前だろ。こういうキスは彼女にかしねーんだよ」
「やったぁ! 嬉しい、エージっ!」

諸手をあげて抱きついてきたアズミの背中を軽くぽんぽんと撫で、苦笑いしつつ天井を仰ぎ見る。あぁ、オレもなんかどさくさに紛れて自爆してるような。・・・・・・してるよな、絶対。オレだって健全な青少年なのに。歯止めがきかなくなったらどうする気だよ。まぁ、そんときはそんときだろうけど。

青少年の苦悩を知ってか知らずか、アズミはニコニコとエージの顔を覗き込む。

「アズミもやりたいっ! 大人のキス!!」
「・・・・・・・どうぞ」

さっき以上に辿々しいキスを受けながら、エージは思った。これからは今まで以上に気をつけないと。つまり、こんなキスをするくらい二人の仲が進展しているとばれないように。保護者の管理人あたりは特に注意せねば。


さて、晴れて正式に(?)恋人同士になったところで、そろそろ風呂に行かせてもらいたいなぁとエージは思った。もちろん、入るのは一人でだ。当たり前だ。だってエージも健全な青少年なんだから。

| top |