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日常+1
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生活に障害が出るほど霊障が激しかったり、陰魄などからの接触が絶えなかったりする者を保護する施設がある。
そこには専門家である『案内屋』が居り、霊力のコントロールや、生者以外からの干渉に対抗する術を身につけるための指導を受けることができる。今も尚、現代社会に住み着く陰魄から人々を守るため、平安時代から細々と続いている、この国の裏の顔。
今は全国に数箇所あるだけの特別施設。その内の一つが、うたかた荘だ。

眞白エージがうたかた荘に来たのは、小学校4年生の時。焼けるような真夏日だった。
カンカンに照らす白い太陽の下、木造のアパートは色を失ったように輪郭が揺らいでいた。開け放した窓で白いカーテンが揺れ、現実から切り離された空間のように錯覚する。
遠くで聞こえる蝉時雨。都内にありながら、ここはひどく優しい色をしている場所だった。

「君がエージか。俺がここの管理人の明神だ。よろしくな」
右手を差し出した上背の高い男の髪も、日差し同様に真っ白だった。かといって、高齢なわけでもなく、聞けば生まれつきだという。サングラスで隠している目も、日本人にしては色素が薄い。
彼も異端者だ。エージと同じように、現世以外との関わりを持ってしまった者。彼らが行き着く場所が、このうたかた荘なのだと。

この日、眞白エージも住人の列に名を連ねた。


あれから早7年と半年。
エージはいまだにうたかた荘から高校に通っていた。
あれほど自分でコントロールできなかった能力の制御を学び、対陰魄の対処技術も会得した。もう『案内屋』である明神に頼ることもそんなにないのだが、何となしにここを出て行く気にはなれなかった。
他者に見えないものも見える事は、得てして見えない他者から倦厭される原因にもなりえる。学校では普通に接してくれる友人たちも、どこか一歩引かれていることをエージは知っていた。
それ故か、ここに自分と『同じ』人間が居ることがありがたかった。

部活を終え、くたくたになった身体を引きずるようにうたかた荘にたどり着く。玄関を開けた途端見えたのは、おんぼろ廊下を全速力で走ってくる少女の姿。

「エージぃ!エージ、エージっ!おかえりぃー!!」
「おぅ、アズミ。ただい・・・っ、ちょ、飛びつくなっ!」
「聞いて聞いてー! 今日ね、アズミいいもの見つけたの!!」

遠慮なく飛び込んできた彼女の身体を、たたらを踏みつつも何とか受け止めたところで、残り少ない体力を使い切った。華奢な身体を抱えたまま、ずるずるとその場に崩れ落ちた。

「エージ?」
「ア〜ズ〜ミ〜〜〜。頼むから容赦なく突っ込んでくるのはやめてくれ」

自分の膝の上にちょこんと座る少女の頭をぽんぽん叩きながら、エージは項垂れた。

初めて会った時、アズミはまだ小学生にもなってなかった。自分と同じように異形のものが見える目を持つ故、ここに預けられている。
人見知りではあるけれど、仲良くなると容赦ない彼女は、うたかた荘で「小さな怪獣」と命名された。その異名は、中学生になった今でもりっぱに健在中である。

「・・・で、何を見つけたって?」

両腕で彼女を抱き上げて、とりあえず膝の上から降ろすと、エージは制服のズボンの埃を叩きながらアズミの顔を覗き込んだ。
ついこの前までランドセルを背負っていた幼い顔に、ぱぁっと満面の笑顔が広がる。

「そうっ! あのね、今日ヒメノと買い物に行ったんだよ!」
「へぇ。何かいいものあったか?」

履いていたスニーカーを脱ぎつつ、たたきにあがる。共同ダイニングから流れてくるいい匂い。今日の夕飯はカレーか。

「あのね、商店街に新しい雑貨屋さんができてねっ」
「うんうん」

スポーツバッグから練習着を出して、洗濯機の上に備え付けられている籠に放り込む。今日は一段と汚れが酷いなぁ。あとで手洗いか? これは。
歩き回る自分の後ろを、とてとてついて来るアズミ。

「動物の可愛いお茶碗とか、お財布とかタオルとかあって・・・」

そういえば、今日のナイターの先発をチェックしていなかった。早めにテレビを確保しないと、またツキタケとリモコンの取り合いをする羽目になるなぁ。

「・・・ヒメノと二人で色々選んで・・・・・・」

しまったっ、今日は数学の課題が山のように出てたんだ。いくら連休ったって、これはないよなぁ・・・。ガクって今週はこっちに来るんだっけ?

「〜〜〜〜っ、エージっ!ちゃんと聞いてっ!!」
「いってぇっ!!」

ぐいっと引っ張られたのは左耳。あまりにも勢い良く引っ張るから、そのままバランスを崩し、危うくコケそうになった。流石にそこまでの失態を見せることにはならなかったが、彼女の小さな手は、自分の耳をしっかと捕らえて離さない。

「悪かったよ、アズミっ! このとーりだから手を離せって」
「イーーーヤーーーー!」
「ゴメンって。ちゃんと話聞くから許せよ」
「いやいやいや〜〜〜〜〜っ!」

うちのお姫様は大層お冠なご様子。つやつやのほっぺたを膨らませて、どこの幼稚園児だよ。
悪いのは自分だと分かってはいるのだが、いかんせん、こうなってしまったアズミのご機嫌取りはかなり難儀だ。宥めすかして、痛みをこらえつつ頭を撫でても、まったく効果なし。

仕方ないので最後の手段。彼女の腰に腕を回し、両腕で抱き上げてやる。
いつもは見上げなければいけない相手を見下ろせる所為か、アズミはこうやって抱き上げられるのが未だに好きだ。いい加減、思春期と呼ばれる年齢になっているのだから、そろそろこれもセクハラだと言われそうだが、とりあえずはまだ効力は衰えていないらしい。
人の耳を掴んだまま、アズミはきょとんとした顔で自分を見つめている。

「ちゃんと聞くから。とりあえず、俺の耳から手を離せって」
「ホント?」
「ホントだって。嘘は言わねぇ」

ようやく納得したのか、彼女の指が耳から離れた。はぁ、やれやれと内心一息ついたのだが、何を思ったか、アズミはそのままエージの首に腕を回す。

「あ、・・・・・・アズミ?」
「これならちゃんと聞いてくれるよね」

ぴったりと寄せられた頬。彼女が喋る度に耳を掠める唇。ちょっと待てと一人焦る自分を知ってか知らずか、アズミは嬉しそうに先ほどのトークを最初から繰り返す。

「あのね、姫乃と買い物に行ったら、新しくできたお店を見つけてね」
「・・・・・・・おいっ」

遠慮なくぎゅっと抱きしめてくる腕。こいつは俺を窒息死させる気かよ。

「ちょっと寄り道したんだけど、可愛いのがいっぱいあって・・・」
「あ、アズミっ!」

ぐいっと彼女の身体を引き剥がしにかかるが、そうはさせじとしがみつく腕に更に力を込めるアズミの所為で、自分の首は一層締め付けらる羽目になった。

「あ、アズ・・・・、マジ、勘弁・・・・・・っ」
「このままがいーの♪」

剥がす・剥がさないの攻防が楽しいのか、アズミはキャーキャーと楽しそうに笑う。こっちはそれどころじゃないっていうのに、能天気なものだ。
ひとしきり笑って満足したのか、アズミは両腕を緩めると、そのまま身体を軽く反らせた。覗き込んだ顔は、相変わらずニコニコと微笑んでいる。

「これ、エージの」
「・・・・・・え?」

突然、ふわりと柔らかい何かが首にかけられる。末端を手に取ると、ざっくりと編まれた毛糸が見えた。

「マフラー?」
「うん、エージのがオレンジで、アズミのは赤なの」

お揃いだよ、と彼女ははにかんで笑う。

「嬉しい?」
「あ、・・・・・・おう。サンキューな」

わぁーい!と両手を上げて喜ぶ姿が、相変わらず幼子みたいだ。もう一度ぎゅっと俺に抱きついた後、彼女はするりと俺の腕から滑り降りた。

「じゃ、アズミ、姫乃のお手伝いしてくるね!」
「あぁ」
「エージ、ちゃんと着替えておくんだよー」

母親みたいなことを言い残し、アズミが廊下ととたとた走っていく。ようやく開放されたか、と安堵のため息をついていたら、再度ぴょこりとアズミが顔を出した。

「あとね、それあげたの、みんなには内緒ね」
「は? なんでだよ」
「だってエージとアズミの分しか買ってないんだもん。明神にも言っちゃだめだからね?」

口元に人差し指を立てて、彼女は台所に姿を消した。

「俺とアズミの分だけって・・・・・・」

しかも、色違いでお揃いのマフラー。

「・・・・・・どこのバカップルだよ、おい」

はぁ、とため息をつくエージ。そういいつつも、なんとなく顔が赤くなってしまうのは何故だろう。
お姫様の天然振りには困ったもんだ、と呟きながら、エージは自室へ向かうため階段を登っていった。

この時のお姫様が意図的に動いていたことを知るのは、約1年後の話である。

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