novel
カナリア
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ゆりかごのうたを
カナリヤが歌うよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこ よ


懐かしい歌だ、と明神は思った。

どこで聞いたのかは覚えていない。ただ、懐かしいとは思ったから、多分昔どこかで聞いたことがあるのだろう。

管理人室のドアを開けると、共同リビングにいた雪乃が顔を上げて笑った。その膝ではアズミが気持ちよさそうにすやすや眠っている。

「うわっ、すみませんお母さん。こらっ、アズミっ!」
「いいのよ、私が寝なさいって言ったんですもの」

にこにこと微笑みつつ、彼女はアズミの髪を撫で梳いていた。あぁ、彼女はアズミに触れられるのだと明神は思い出す。彼女と無縁断世を分けた姫乃も、そのうちこんな風にアズミの頭を撫でるのだろうか。
昼下がりの陽気は心地よく、アズミは本当に良く眠っていた。

「こうやってアズミちゃんを寝かしつけていると、昔の姫乃を思い出すわ」

微笑む雪乃は母親の顔をしていた。幸せそうな顔だった。

「あの子もこれくらい良く寝ついてくれると良かったんだけど、昔からなかなか昼寝をしなくてね。すごく困ったわ」
「そうなんですか? 今は随分寝付きいいですけど」

思わず口を滑らせてから、しまったと口元を押さえる。どうして一介の管理人が姫乃の寝付きまでを知る機会があるというのか。気づかれたかな? と雪乃の表情を窺ったが、相変わらず彼女は眠るアズミをゆったりゆったりと撫でていた。


ゆりかごのうえに
枇杷の実が揺れるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこ よ


柔らかい歌声が紡ぐ子守歌。それに聞き入るようにその場に立ちつくしていた明神は、思い出したように雪乃の横に胡座をかいた。そしてそのまま眠るアズミと雪乃をぼんやりと見つめる。

あぁ、母親なんだな、と明神は思った。

先代の明神は父親というか親父というイメージの強い人だったが、雪乃は母親というイメージを具現化したような人だと思った。いや、実際に雪乃は姫乃の母親ではあるのだが。

この優しい声も全てを包む暖かさも、母親でなければ作れまい。分け隔て無く降り注ぐその慈愛は、安らぎの帳をそこへ垂らす。

だから、だろうか。

倚門島に幽閉されていたときも、彼女は変わらずパラノイドサーカスの面々を慈しんでいた。そして彼らも彼らなりに彼女を慕って−−無縁断世の能力に関係なく−−傷つけないようにと意識していた。

生者と霊は分かり合えると明神は思っている。そこに言葉が存在し、お互いの意識することができれば、共同生活だって不可能だとは思わない。
けれど、おそらくはそこに雪乃のような慈愛があってこそなのだろう。

キヨイ達のようなアニマしかり、エージやツキタケのような陽魂しかり、おそらくは生者である明神自身も。うたかた荘に身を寄せるものは皆、多かれ少なかれ愛情に飢えている。


愛されたいという欲求。
愛したいという欲求。


母親という存在は、そのどちらも難なく受け入れることができる希有な存在ではなかろうか?


「たまに聞くと、子守歌っていいですね。なんかこう、懐かしい気がする」

繰り返される唄に、明神はそう言った。

「あら。じゃあ、きっと冬悟さんのお母さんもこうやって唄ってくれていたのね」
「いや、でも歌とか全然覚えてないんですよ」

それどころか、冬悟は自分の両親がどんな顔をしていたのかすらも思い出せない。親戚をたらい回しされるうち、気がつけば思い出の品すら残されなかった。
雪乃はころころと少女のように微笑んだ。

「細かいことは覚えて無くてもね、愛情込めて唄われたことは忘れたりしないのよ」

アズミにやっていたのと同じように、雪乃は明神の髪をそうっと撫でた。

「この子が幸せになるようにと、親はいつだってそう願って唄っているんですから」
「・・・・・・」
「冬悟さんのご両親も、あなたをとても愛していたのね。だから冬悟さんは子守歌が懐かしいのよ」


ゆりかごのつなを
木ねずみが揺するよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこ よ


雪乃はすっと明神の頬に指を滑らせた。それでようやく、明神は自分が泣いていることに気がついた。

どうしてなのかわからない。けれど、悲しいわけではなかった。ただただ涙が滂沱していくのを止められないだけ。

「冬悟さん」
「・・・・・は、い」
「よかったわね」

そう言って微笑む雪乃に、明神は深々と頭を垂れた。


ゆりかごのゆめに
黄色い月がかかるよ
ねんねこ ねんねこ
ねんねこ よ


今度は自分が子守歌を唄おう。
このうたかた荘にいる全てのもののために。

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