彼女は言った。
「明神さん、私のこと好き?」
問われた男は心底困り果てた表情で少女を見下ろした。
話の切っ掛けはなんだったっけ。明神は少々引きつった顔で考える。確か姫乃が読んでいた小説の話題からクラスメイトの話になって、それから何だかちゃんの惚気を散々聞かされたって話になっ・・・・・・。
「明神さん、ちゃんと聞いてます?」
「あ、は、はいっ。聞いてる、ちゃんと聞いてます」
「じゃあ返事は?」
「えっ、な、なに?」
「なにじゃなくて、私のことが好きか嫌いかですよ」
そんな真剣な顔で睨まなくてもいいんじゃないでしょうか、桶川さん。いつもだったらこんな恋愛話になると途端に話を逸らすはずの姫乃が今日に限っていつになく強気だ。強気すぎて明神は押されっぱなしだ。それにしても大の大人が女子高生にじりじりと壁に追いつめられるとはなんとも情けない。うぅ。
「ほら、逃げないでちゃんと答えてくださいよっ」
ばんっと音を立てて彼女の華奢な両腕が明神の逃げ場を奪う。強気な上に姫乃の目は完全に据わっていた。赤らんだ目元は見ようによっては色っぽいのだろうが、生憎今の明神にはそんな余裕はひとかけらも残っていない。
「好き・・・・・・・だよね? 明神さん」
まるで懇願する様な目で見つめられて、明神の目があからさまに泳ぐ。
あぁ、ここまでお膳立てされているなら自分の胸の内を洗いざらい彼女に告白したい。できることならその細い両肩を抱きしめて思いの丈を耳元で囁きたいくらいだ。だがしかし、今それをやったとしてもまったく意味を成さないのは分かっている。
何せ彼女は今べろんべろんで前後不覚に酔っぱらっているのだから!
ーーーーーーだれだよっ!カクテルの缶をあんなジュースみたいなデザインにしたやつはっ!
声にならない絶叫をしたところで現状が変わるわけでもなく、明神はがっくりと肩を落としてうなだれた。こんな夜に限って雪乃さんはキヨイたちと出かけているし、口論が昂じてうたかた荘を飛び出したガクとグレイを追っかけてツキタケも不在。エージとアズミは二階で仲良くお休み中だ。もう頼れるのは自分自身しかいないわけで。
「あ、あのですね、姫乃サン」
「・・・・・・なんれすか、みょーじんさん」
少しだけトロンとした目に明神は縋る思いで祈った。このまま寝てくれひめのんっ、ついでに記憶も途切れてくれてるとお兄さんは嬉しいんだが。
「俺がひめのんのことを嫌いな訳ないだろ? そんなこと分かり切ってるじゃないか。だからほら、ちょっと離れてみない・・・・・・」
「そういう意味で言ってるんじゃないんれすっ!!!」
ぐいと顔を寄せてくる姫乃の肩を寸での所で明神は掴んで押し止めた。・・・・・・ひめのん、力一杯寄ってこないでっ。力の加減が難しい・・・・・・って何か力負けしそうじゃないか、俺?!
「もうね、わたし、・・・・・・こどもじゃないよ?」
------子供ですっ、社会的にはまだ君は子供の範囲なんですってっ。
「だから、大丈夫・・・・・・だから」
------大丈夫じゃない、大丈夫じゃないぞ、特にこの俺が!!!!
「ちゃんと言って・・・・・・ね?」
------言えるならちゃんと言いたいよ、俺だって!・・・・・・って、ひめのん顔近いっ、近すぎるってばっ!!
慌てふためく明神の心の内を知ってか知らずか、姫乃は更に明神に迫ってくる。だからといって力任せに押し返すと彼女がひっくり返ってしまうかもしれない。かといってこのまま女子高生に押し倒されるのはもっと問題だ。じりじりと崩れ始める均衡に明神は半ばパニック状態だった。ついでに頭の中では理性と男の本能まで戦いだしている。あぁ、もうどうすりゃいいんだ、・・・・・・くそう、もうお手上げ状態だっつーの!
そして、明神は本当に両手を挙げた。
・・・・・・・・・・・・え?
挙げた本人も驚きだ。なんだろう、これが無意識の逃避ってやつなのか?しかし、それによって姫乃の肩を押さえ込んでいた腕も当然消え、彼女の身体はぽすんと明神の腕の中に収まってしまった。・・・・・・あれれ?
疑問に思う前に天井を仰いでいた両腕がぽすんと降りてしまう。・・・・・・・・・あれれれれ?
これは。これはまずいんじゃないか。いやまずいだろ、どう考えても。だって年頃の男女が二人きりで、その上寝る前の薄着で抱き合ってるってやばい以外なにものでもないだろ。なに俺両手降ろしてるんだ。その上ちゃっかり背中抱いてる両腕が憎い。だめだ、俺の身体、本能に負けるんじゃねぇ!・・・・・・あーひめのん風呂上がりの良い匂いがするなぁ・・・・・・て、まてまてだからひめのんは女子校生なんだぞ、おれ犯罪じゃないのか?
ようやく明神の頭が正常に動作した。顔からさあっと血の気がひく。これは何とかこの状況から抜け出さねば。
「ひめの・・・・・・」
「ね、・・・・・・・教えてトウゴさん、私のことどう思ってるの?」
姫乃を引き離そうと構えた腕がぴたっと静止した。腕どころか全身が硬直する。・・・・・・桶川サン、今なんと?
自分にもたれ掛かる姫乃が顔を上げようとするのを明神は咄嗟に自分の右手でそれを遮った。脈拍が急に駆け上がる。背筋を流れる汗は極度の緊張の所為だろうが、もうそんなことにも明神は構っていられない。
・・・・・・名前を。今、気のせいでなければ姫乃は自分の名前を呼ばなかっただろうか?
「聞かせて。・・・・・・お願い、冬悟さん」
あぁ、彼女の声はなんて甘いのだろう。その体温はなんて温かいのだろう。・・・・・・華奢な身体はなんと柔らかいのだろう。
もうだめだ、と明神の最後の建前が崩れた。姫乃の美しい黒髪にそっと顔を寄せて明神は喉の奥で支えていた言葉をぽつぽつと吐きだした。
「オレはね、ひめのんのこと、・・・・・・すっごく大切に思ってるよ」
「・・・・・・うん」
「最初はちょっと危なっかしい子だなって思った。迷子になるわ霊魂見えるようになるわ。・・・・・・そういやいきなり人のことを痴漢呼ばわりしてくれたっけ」
腕の中で小さく彼女が笑ったのが分かった。
「それからうちの住人とも仲良くなってくれて、本当にいいこが来てくれたなて思ったよ。オレの分の飯まで作ってくれる世話焼きさんで、なのに一人で一生懸命頑張ろうとして、寂しくても弱音を吐かなくて」
「・・・・・・」
「すごく、すごく頑張りやさんだからな、ひめのんは。だからオレもその気概に応えなきゃって思って。オレが護らないと、そのために強くならなきゃなんないって思ってた」
そっと彼女の髪を撫でる。指の間をすり抜けるストレートの髪がさらさらと揺れた。
「・・・・・・ひめのんが無縁断世の半分を持っているって分かって、結局は案内屋総動員で護ることになった訳だけど」
------だけど、オレは。
「ひめのんはね、オレが護りたいと思ったんだ。オレの手でどうしても護りたかった。・・・・・・だから、誰よりも強くなるんだって。まぁ、負けず嫌いってなとこもあるんだけど」
彼女の肩を抱く手にぎゅっと力を込めた。
「他の奴にひめのんのことを任せたくなかったんだ。オレがずっと傍にいるんだって、それが当たり前だって思ってた。・・・・・・まぁ、その理由なんて考えてもなかったんだけどさ、当時は」
改めて吐きだした息が重い。心臓がばくばく言っている音が耳鳴りのように煩く聞こえる。
「でもその理由も今ならわかる。・・・・・・独り占めしたかったんだ、ひめのんを」
「・・・・・・」
「オレは、その、特別な意味で、・・・・・・姫乃が好きだから」
------言ってしまった。
言ってしまったぞ、勢いとはいえついに言ってしまった。いや、ひめのんが言ってっていうからオレも覚悟をきめたんだけど。あー、でもやっぱこんな風に告白とかって微妙だったかな。なんかひめのんの反応薄かったし。・・・・・・・・・・・・ん?あれ?
「・・・・・・あのー、オケガワ、サン?」
覗き込んだ視線の先には、なんとも穏やかな寝息を立てている姫乃の姿があった。
「・・・・・・ですよね。うん、オレもそういうオチだと思ってた。思ってたけど・・・・・・」
これは結構あんまりじゃないだろうか、とがっくりと明神はうなだれた。こうやって彼の一世一代の告白は見事に終わった。・・・・・・はずだった。
眠りこける姫乃を抱えて明神はゆっくりゆっくりと階段を昇る。みしみしと少し軋む床を歩いて3号室まで辿り着けば、そこは既に布団が一組敷かれていた。どうやら着替えたときにもう準備しておいたらしい。明神はその上に抱えていた彼女をそっと降ろす。
ふぅ、と一息ついて、明神は眠る彼女の傍らに片膝をついた。・・・・・・よく寝ている。多分、さっきの告白も彼女の耳には届いていない。それは良かったのか悪かったのかわからないが、ともかく明日からも今まで通りの二人でいられるはずだ。
「変に意識して、気まずくなるのもいやだしな、うん」
どこか自分に言い聞かせるような言葉だったが、呟いてみたら少しだけ心が軽くなった。そうだ、これで良かったんだ。
「・・・・・・でも、さっき言ったことに嘘はないからな、ひめのん」
眠る少女の頭を軽く撫でながらそっと囁く。
「好きだよ、姫乃。ホントに好きだからな。・・・・・・できたらずっとオレの傍にいてよ」
相手を意識しないならこんなに簡単に言えるのに、と明神は思った。
だが、意識の無いはずの相手から、
「・・・・・・それ、ホント?」
返事が、あった。
「ひ、ひひひ、ひ、ひめのんっ?!!!」
「・・・・・・はい」
思わず背後に飛びずさった明神に、姫乃は申し訳なさそうに返事をした。・・・・・・血の気がさぁっと引いていく音が聞こえた気がした。
「い、いつから起きてたのっ?!」
「えっと、意識して気まずくなるってあたりから」
「そんな最初っから?!!」
「ご、ごめんなさいっ、だって何か起きるタイミング逃しちゃって・・・・・・」
身体を起こしてすまなそうにうなだれる姫乃の前で、明神はというとがっくりと床に突っ伏していた。聞かれてた、あんなこっ恥ずかしい中学生みたいな告白をっ!よりによってあんなのをっ!
「あ、あと、一階での会話も・・・・・・ちょこっと覚えてて・・・・・・」
更に追い打ちを掛けられ、明神のライフポイントは限りなく0に近くなった。いや、もう0かもしれない。今ガクあたりに襲撃されたら多分あのピコピコハンマーに叩きのめされる自信がある。
あぁ、どうしよう、もう顔を上げられねぇ。いや、もう顔合わせられないよ、明日からどーすんだよオレっ!その前にこの状況をどうすればいいんだよ!!
「あ、あの・・・・・・明神さん?」
あぁ、誰かオレを今すぐここから消してくれぇっ!
「明神さんってば」
「え、あ、はい・・・・・・って、うをっ」
思わず顔を上げた明神の目の前に、同じようにちょっと困った顔の姫乃の顔があった。近すぎる距離に後ずさろうとして、もう背後は壁であることに気がつく。姫乃は変わらず明神の顔を覗き込んだまま。仕方なく明神も気まずい顔のまま彼女と対峙した。・・・・・・辺りを不自然な沈黙が包み込む。
「その、・・・・・・あのですね、桶川さ」
「私もっ、その、明神さんのことが好きですっ!」
「・・・・・・あ?」
言いかけた言葉をかき消すように、姫乃の声がそれを遮る。なによりその内容に明神は更に目を見開いた。
「え、えっと・・・・・・、その、さっき明神さん、あの・・・・・・好きって・・・・・・言ってくれたよね?」
「・・・・・・は、ハイ。イイマ、シタ」
畏まりすぎて片言の日本語になる明神。
「なんで、私も好きですって返事しないとって思って」
言ってみました、と姫乃ももじもじと俯いてしまう。・・・・・・傍から見たら耳まで真っ赤にした男女二人が布団の傍らで向かい合ったまま俯いているのだから見ようによっては随分と危ない図なのだが、生憎そんなことまで気を回している余裕なんぞ1ミリも無かった訳で。
「あの、ひめのん」
「はい」
「今、オレの聞き間違えじゃなきゃ、オレのこと、その・・・・・・・好き・・・・・・って」
「いいましたっ!明神さんだって私のこと好きって言ってくれましたよね?私、寝ぼけて夢見てたんじゃないですよね?」
「いや夢見てるのはオレじゃないか? だってこんな都合いいこと起こっちゃっていいのか? いや、もしかしたら本当に夢かも。・・・・・・ひめのん、ちょっとオレの顔ひっ叩いてくれない?」
「じゃあ、その前に私のほっぺ抓ってください」
「ひ、ひめのんのほっぺって・・・・・・っ。そんなことできないってっ!」
「だったら私も明神さん叩いたりできませんっ!」
それきり二人はだんまりになってしまった。というより言うべき言葉が尽きてしまったというか。・・・・・・しかし、このまま黙りこくって見つめ合っていても事態は変わらないのも確かだ。
あー、と明神は不自然な咳払いをひとつする。
「・・・・・・じゃあ、えっと、・・・・・・二人ともとりあえず夢ではないとして」
「そ、そうですね。・・・・・・夢じゃないってことで」
「ひめのんがオレのこと好きだってことで・・・・・・いい、のかな?」
「明神さんも私のこと好きだってことでいいんです、よね?」
これじゃ無限ループだろ。姫乃もそう思ったのか少し困った顔でこちらを見上げている。うぅ、上目遣いで見られると緊張するって。
「・・・・・・つまり、その・・・・・・両想いってことで、問題ないデショウカ」
「はい、問題・・・・・・無イデス」
「じゃあ、そういうことで・・・・・・よ、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそっ、よろしく・・・・・・お願いします」
「あー・・・・・・じゃあ今日は遅いから・・・・・・」
「そう・・・・・・ですね」
「・・・・・・オヤスミナサイ」
「オヤスミナサイ」
向かい合ったままお互いご丁寧に頭を下げる。無意識にしていた正座を崩して明神は立ち上がった。・・・・・・よく見れば姫乃も布団の上に正座していた。後ずさりするようにしてようやく廊下にたどり着くと、ゆっくりと(けれど渾身の力を込めて)そのドアを閉めた。
かちゃりというドアノブの音を聞き届けると、そのまま明神は廊下にずるずると崩れ落ちた。
ようやく先程までのやりとりを反芻する余裕が出来て、明神は思わず頭を抱えた。
「他に方法なかったのかよ、オレは・・・・・・。よりによってあんな告白もないだろ」
今更悔やんだところで仕方がない。仕方ないのは分かってるんだけどさぁ・・・・・・。溜息ついて自分の不甲斐なさに遠い目をする。
階段を降りる明神が派手な音を立てて脚を滑らせるのは、それからまもなくのことだった。