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午後の紅茶
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4月、日曜日の午後は心地よい晴天だった。

クッキーを焼きたいというアズミを手伝って、姫乃は昼から即席講師として台所に立つことになった。一番簡単なクッキーだったので、初めてお菓子作りに挑戦したアズミでもすぐに手順を覚えられた。せっせと4種類ほどのクッキーを焼き上げると、せっかくなのでティーポットと一緒にそれを縁側に持ち出すと、二人は午後のティータイムと洒落込むことにした。姫乃の隣でアズミは大変満足そうに出来上がったそれを頬張ってる。少しばかり歪な形のものもあるが、それはご愛嬌というもの。

「クッキー、もっといっぱい作れば良かったね!」
「そうだねー。じゃあ今度はもっと色々作ってみようか」
「あっ! アズミ、イチゴケーキ作りたい!!」
「わかった、じゃあ今度はケーキにしようっ」

昔はよくお菓子作りをしていたのだが、そう言えば社会人になってからはめっきりとその機会が減っていた。別に作りたくなくなった訳ではなく、単に時間を割く余裕がなかったりしてだんだん疎遠になってしまっていただけなので、もしかしなくてもこれはいい機会になったかもしれない。アズミにお菓子作りを教えるのも楽しかったし。・・・・・・あぁ、なんか昔のことを思い出しちゃうな。私もお母さんにこうやって教えてもらってたんだっけ。

ふふっ、と思い出し笑いをする姫乃をアズミは首をかしげて見上げていた。

「どうしたの? ヒメノ」
「ん? 私がお母さんにお菓子作りを教えてもらっていたときの事を思い出し・・・・・・」

そこまで言ってしまってから、姫乃はしまったと言葉を飲み込んだ。アズミは彼女の体質などの関連で幼い頃から親と離れて暮らしている。時々は母親面会に訪れているのだが、それでも一番甘えたい盛りに随分と寂しい思いをしてきたはずだ。どうやって話題をすり替えようかと姫乃が思案している目の前で、アズミはにっこりと笑ってこう言った。

「じゃあ、アズミも今度ママが来たときにクッキーの作り方教えてあげる! ママ、アズミのクッキー食べてくれるかな?」

目をキラキラさせている少女に胸がこう、熱くなった。あぁ、もうアズミちゃんは本当にいい子だ!

「・・・・・・うん。うん、もちろんだよ、アズミちゃん! よし、それまでクッキー作りの練習しよう!」
「キャー! やったぁ、またクッキー食べれるね!」

・・・・・・やや目的が逸れてしまったが、アズミがそれで納得してくれているので良しとしよう。ミルクティーのおかわりを注ぎながら、姫乃は幸せそうなアズミの笑顔にほっとした。

「あれ、何食べてるんスか?」

振り向けば細身の少年が首を傾いで立っていた。住人の一人、ツキタケだ。あれ、そういえば今日は外出してなかったっけ。

「あ、ツキタケーっ! あのね、アズミがクッキー焼いたの。食べる?」
「オイラももらっていいの?」

共同リビングに顔を出したツキタケは手に厚手のハードカバーの本を持ったまま縁側まで歩いてきた。ちょこんと膝を突いてクッキーの乗った皿を覗き込む。

「美味そうだなぁ。・・・・・・でも、いいのか?オイラが先に食べて」
「うん、エージの分は別に取ってあるから大丈夫!」
「じゃあ遠慮なく」

少し大きめのクッキーを一口齧る。サクッとしたいい音が聞こえた。

「おぉ、すげー美味いよ! ・・・・・・あ、でも結構甘いな。オイラは甘いの好きだからいいけど、エージ苦手じゃなかったっけ?」
「大丈夫、エージのは甘くないやつなの。ねー、ヒメノ!」
「うん。チーズクッキーとジンジャークッキーの甘さ控えめにしといたから」

実は今食べているチョコチップクッキーとバタークッキーは姫乃も手伝ったのだが、そちらの二つはどうしてもアズミ一人でやりたいということでレシピ指導しかしていない。そういう意味では、エージ用のクッキーは100%アズミの手作りと言えるだろう。

「そっか、じゃあ問題ねぇや。作り分けしとくところが愛だねぇ、アズミ」
「うん、エージのこと大好きだし」
「だよなー」
「ツキタケのことも好きだよー」
「おぉ、ありがとー。オレもアズミのこと好きだよー」

ツキタケがアズミの頭をよしよしと撫でると、アズミもきゃあきゃあと笑い出す。こうやって見ると仲のよい兄妹のようで微笑ましいし、何だか可愛らしくもある。・・・・・・うん、本当に可愛いな。ほのぼのする。

「そういやねーちゃん、アニキから連絡あった?」
「ガクリンから? ううん、今日はまだないけど」
「ありゃ。出張帰りに寄ってくれるって言ってたんだけどなー。まだ飛行機かなぁ」

ツキタケが実の兄のように慕う犬塚ガクは、昔はこのうたかた荘にいたのだが、社会人になったのをきっかけに近所のマンションで一人暮らしを始めていた。休みの日は大抵ツキタケがガクのマンションまで遊びにいくのだが、どうやら今日はこちらに来るらしい。

「ガクリン来るなら夕飯も食べていくかなぁ?」
「多分。・・・・・・あ、このクッキーも残しておいてくれるとすげー喜ぶと思うんだけど。あれだろ、ねえちゃんもこれ一緒に作ったんだよな?」

・・・・・・そして姫乃に強烈なラブコールをかます人でもある。

「うん。じゃあガクリンの分も用意しとくね!」

ツキタケくんも紅茶飲む? と姫乃がポットを取り上げた時、丁度表門の方からがやがやとした声が聞こえてきた。あぁ、明神さんたちが帰ってきたんだと姫乃が腰を浮かしかける前にアズミの声が甲高く響き渡った。

「エーーージーーーーーッ! ちょっときてぇーーーー!」
「あ、アズミちゃん、声大き・・・・・・」
「エーーーーーーージーーーーーーーッ!!!」
「だぁぁぁぁっ! そんなに叫ばなくても聞こえてるっつーの。なんだよアズミ」

慌ててそのまま庭にまわって来たエージの顔はところどころ擦り傷ができていた。服もかなり泥だらけである。今日は明神とゴウメイに『稽古』をつけてもらうと言っていたので、かなり派手にやられてきたのだろう。まぁ、これはいつものことだ。しかし、その後ろからついて来た明神とゴウメイも同様な惨状だったことに姫乃は吃驚して思わず立ち上がった。

「明神さん、どうしたの?! そんなに暴れてきちゃった?」
「いや、途中で陰魄退治がどさくさで紛れちゃってさぁ。大変だったんだよ」
「あー・・・・・・。それでゴウメイさんも巻き込まれちゃったんだ」

それでもいつもより暴れられた所為か、明神の後ろにいるゴウメイはすこぶる上機嫌に見えた。本当に喧嘩が好きな人だなぁ。いや、人じゃなかった。一応この人も陰魄なんだっけ。

一方、エージは大騒ぎしているアズミの前にしゃがみこんでいた。

「どうしたんだよ、アズミ」
「はい、エージ! これアズミが作ったんだよ」

洋皿に盛っているのとは別に、アズミは藤籠のバスケットの蓋を開けて誇らしげにエージの前に差し出した。中には例のアズミ特製チーズクッキーとジンジャークッキーが盛られていた。

「・・・・・・オレ、甘ったりーのはちょっと・・・」
「甘くないよ! ちゃんとエージが食べられそうなのにした!」

だから早く食べて! とずいと更に前へ差し出す。目もいつもよりきらきら倍増で訴えている。この眼力にはどうやっても勝てないことをエージは身をもって知っていた。・・・・・・まぁ、せっかく作ってくれたんだし。一つくらい食べてやるかと思って、はたと自分の両手を見た。

「ちょっと待ってろ。手ぇ洗ってから食べ・・・・・・」
「やっ!今食べるの!!」
「だから食べねぇとは言ってないだろ! 手が泥だらけだから食えねぇって言ってんの!」
「じゃあアズミが食べさせてあげるっ!」

はい、あーん。と。アズミの小さな手が黄金色のクッキーをエージの口元に持っていく。というか半分押し付けるような形だったが、そこは長年の経験があるエージは大人しく口を開けてクッキーだけを上手く口の中に入れた。ちなみに、コツが掴めないとアズミの指ごと食べてしまう羽目になる。

「あー、美味いじゃん。・・・・・・うん、美味い。すげーなアズミ」
「ホント? やったぁ!」
「良かったなぁ、エージ。それアズミが特別にお前の分って作り分けしたんだってよ」
「・・・・・・そうなのか?」
「うん。だってエージに食べて欲しかったから!アズミが作ったクッキー!!」

きゃーと嬌声を上げつつ、エージの首に抱きつくアズミ。慌ててエージは両手を後ろに下げた。・・・・・・両手は本当に泥だらけだったので。服もかなり汚れていたので抱き疲れること自体を回避したかったのだが。勢いに負けてバランスを崩さないよう片膝をついて踏ん張るエージを見て、ツキタケがケラケラと笑った。

「ひめのん、こっちのクッキーは?」
「あ、こっちは私も手伝って作った方なの。明神さん食べる?」
「もしよければ」

動きすぎて腹減ってるんだよね、と彼は力なく笑う。そういえば、この人昼ごはんもろくに取らないまま出て行ったんじゃなかったっけ?

おそらくは明神の両手も泥だらけであろう。姫乃もアズミと同じようにバタークッキーを一枚摘んで明神の目の前に差し出した。身をかがめた彼がそれをぱくっと口にする。・・・・・・あ、唇にちょっと触っちゃった。これくらいのことなら何度模しているはずなのに、相変わらず触れ合っただけでどきどきしてしまう。

「美味しいよ、ひめのん」
「ホント? あれ、でも明神さんも甘いもの苦手じゃなかったっけ?」
「あー、まぁ好んで食べるほうじゃないけど。でもひめのんが作ったやつならいくらでも食べれるかな」

ちょっと気障っぽい?と明神が照れ笑いすると、それが姫乃も伝染した。この二人が互いに顔を赤らめて照れるのはいつものことだ。ゴウメイはそれを後ろから眺めてニヤニヤとしている。まぁ、なんと初々しいカップルだこと。付き合い始めてもう随分経ってる筈なのになぁ。

「そうだ、ゴウメイも食べる?アズミのクッキー」
「ん? あぁ、でもそのままじゃオレぁ食えねぇぜ?」
「オレが後で頸伝導してやるよ。よし、じゃあまずは家に入って手を洗うか」
「ついでに着替えてきてね! 服はちゃんと脱衣所においといてくれればいいから」

はーい、と子供みたいな返事をして明神は回れ右をした。それにゴウメイとエージが続いていく。3人の後姿を見送ると、姫乃もポットとカップを手に立ち上がった。

「さて、じゃあこっちも後片付けしますか」
「あ、ねーちゃんオレも手伝うよ」
「アズミもこれ持ってくー!」


幸せな午後のティータイムも今日はこれでお開き。次は澪さん達も呼んでみようかなぁなんて思いながら、姫乃は縁側の窓をからからと閉めた。

まだまだ春の陽気は続く。

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